【ハンセン病の少年が残した手紙】実際の症状や世間のイメージ

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ハンセン病だった少年の思いが書かれた約50年前の手紙が、亡くなった少年の母親の遺品から見つかりました。

この手紙には、隔離政策の中で生きた少年の心の内が綴られており、当時の状況を知る上で貴重な資料として注目されています。

今回は、発見された手紙の内容やハンセン病の症状や世間のイメージなどについて詳しくまとめました。

今回発見された手紙の内容

引用:https://www.nhdm.jp

今回発見されたのは、熊本県の国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園」で少年時代を過ごした男性が、当時家族に送ったとされる約50年前の手紙です。

この手紙は、「隔離された少年の心情を知る貴重な資料」と言われています。

手紙の内容には、大好きだった家族や野球の話、病気が治った後も続く後遺症に対する悩みや、社会復帰後も病気であることを隠しながら生きてきた苦労などが込められた手紙でした。

ハンセン病に対しては、今現在でも差別や偏見が世間には残っており、社会問題となっています。

ハンセン病とは?

引用:https://id-info.jihs.go.jp/

ハンセン病は「らい菌」という細菌が原因の感染症の一種で、主に皮膚や神経に対して悪影響を及ぼします。
ハンセン病の名前は、「らい菌」を発見したアルマウェル・ハンセン医師からこの名になりました。

ハンセン病は「最も感染力の弱い感染病」と呼ばれるほど感染力が弱いことで有名です。
そのため、ほとんどの人が自然の免疫で対抗できるため、発症するケースは非常に少ない感染病でもあります。

この「らい菌」は増殖スピードが非常に遅く、潜伏期間は平均で約5年、長い場合には約20年とも言われています。

発症すると手や顔などが変形したり、不自由になるなどの症状が現れますが、当時は治療法がなく「不治の病」とも言われていました。
そのため、ハンセン病を発症した患者は、法律で強制的に隔離されていた時代がありました。

しかし、今ではハンセン病の治療方法は確立されており、治る病気となっています。
これに伴い、この強制隔離制度も1996年に廃止されています。

ハンセン病に対する現代のイメージ

ハンセン病を発症すると、手や顔などの目に見えやすい場所が変形したり不自由になることが、差別や偏見を生み出していました。

しかし、科学の進歩と同時に病気の本質が解明され、治療法も確立された今、世の中のイメージも少しずつ変化してきています。

ネット上で声をあげている人の多くは、ハンセン病に対する差別や偏見的な意見はほとんど見かけませんでした。

・ハンセン病資料館の見学時には胸が締め付けられた。不安や恐怖が引き起こした差別。

・展示を通して国の隔離政策の問題、いまだ解消しない差別について考えた。

・ほんと時代の差別がなければなぁ。。悔しいな。。青春もないだなんて。。
統合失調症も自宅軟禁で先輩方は苦しんだ。。先輩のおかげで今がある。
引用:Yahoo!リアルタイム検索

ネット上で声をあげている人の多くは、「ハンセン病資料館」やハンセン病を題材とした映像などを通じて、当時の非情さなどを感じていました。

今回発見された、少年の手紙などをはじめとした、他の多くの資料については、東京都の「国立ハンセン病資料館」に展示されています。

このような場所に1人でも多くの人が立ち寄り、声をあげて行くことが、世の中の差別や偏見をなくすために必要なことだと感じました。

ハンセン病資料館

名前 国立ハンセン病資料館
場所 東京都東村山市青葉町4丁目1-13
TEL 042-396-2909
開館時間 9:30〜16:30
入館料 無料
休館日 月曜・年末年始・「国民の祝日」の翌日

ハンセン病の歴史

古代〜江戸時代 不治の病と恐れられる
明治時代初期 (1873年~) 国による隔離政策が始まる
戦後〜平成時代 (1940年〜1990年) 特効薬の登場により治る病気となるが、隔離政策は続行
1996年 らい予防法の廃止により、強制隔離生活が正式に禁止される。
2001年 熊本地裁の判決により、元患者や家族達に対して、国からの謝罪と損害賠償を命じる。

まとめ

ハンセン病について正しい理解や知識を身につけることは、誤ったイメージから生まれる差別や偏見をなくす第一歩です。

いまも世界のどこかには、病気が完治しても世間からの差別や偏見を恐れて、社会復帰できずにいる人もいます。

そうした現状を変えるためには、私たち1人1人が正しい声を上げ、理解を広げていくことが大切です。

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